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スクラップビルド

学会誌表紙の(多分)本当の問題点。


 どうも、お久しぶりです。
 久しぶりの記事がこんなものですまない。
 今、私のTLではとある学会誌の表紙のイラストに「クソフェミ」が難癖をつけたということで大炎上している。
 私は自分がフェミニストである自覚はないが、それでもTLに流れてくるフェミニズムの根本すら否定するような内容のRTがきわめて肯定的に迎えられていることについて大分腹が立った。私は女性ではないが女性の方が多い環境の中で過ごしてきたので、人間関係の軋轢はあっても共に過ごした彼女らが馬鹿にされているのは我慢がならなかった。
 その一方でイラストの元ネタを聞いて、こんな騒ぎになってしまったことが非常に残念な気持ちになってしまった。

 今回はフェミニスト以外の人に向けてなぜフェミニストにとってあの表紙がまずいのかを、フェミニストの方に対してなぜあのイラストが人工知能学会誌の表紙である必然性があったのかを、うろ覚えの知識でざっくりとだが説明していく。



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 なぜフェミニストにとってあの表紙はまずいのか?
 理由は簡単、歴史的なフェミニズムの起こりを思い出していただければよい。
 フェミニズムの発祥となった欧州では、近代化に伴って男女の家庭分業化が進み、元々は共に農作業などをしていたのが「男は外へ、女は内へ」が極端化していき、その反動で女性解放運動が起こったと言われている。
 そのためフェミニズムにおける女性と家事労働の組み合わせは、どの派閥であっても非常に食い合わせが悪い。基本中の基本とさえ言える。
 そんな「圧迫された女性達」にとって解放の象徴であったのが知識層の女性達だ。女性は互いに平均的な体格の男性と比べるとどうしても肉体的に弱い位置づけにならざるをえないが、知識や学究、芸術となれば対等に渡り合える。
 特に学問の世界は。
 そんなわけで学問の世界と言うのは元々男性に占められていた閉じた世界だったが、真っ先に――芸術は元々垣根が薄かった――開かれた世界でもあるので、フェミニズムにとっては重要な立ち位置にある。
 ましてや人工知能、情報科学は今一番未来に繋がっている最先端の学問であるというイメージ戦略を展開して重要性を説いてきた。
 その世界の最先端を行く学問の学会誌で、旧弊的な家事労働に従事する女性型ヒューマノイドが表紙を飾る。
 これがフェミニズムにとって極めて「象徴的な」意味を含むことはここまで読んでいただいたら分かるだろう。
 世界の最先端の場も結局男性本位の世界であった、という失望はかなり大きかったことは、想像に難くない。

 加えて、あれが萌え絵であることも(私は別にほのぼの系のイラストの一種で萌えというほどではないのではないかとも思うが)、フェミニストにとっては痛い。80~90年代から続く萌え文化は元々「自立した女性」像を持て囃す風潮のカウンターカルチャーとして生じたもの(中には頑固に否定される方も居るかもしれないが、少なくとも外部から表出するようになってきて見えた印象はそんなものである)なので、言わば絵柄自体がフェミニズムへのアンチテーゼとしてのメッセージを持っている。これはダブルパンチだ。

 もしこれで理解いただけないのなら、少し危ないたとえであるがこんな話をしよう。
 あなたが仮に、今もこの現代で鬼畜米英めと対戦の連合国を憎んでいる人間だとする。
 しかしあなたにはとても親しいアメリカ人が居る。彼は先の大戦のことを深くわびているし、自分は人種差別はしない、平和主義者だと普段から語っていて、それを信頼していた。国は憎くても一人一人と対話すれば仲良くなれるのだ、などと思いながら。
 しかしある日何気ないジョークの中であなたは自分のことを「ジャップ」と呼ばれる。
 ジャップという言葉は過去に日本人を強く侮蔑する意味で使われていた言葉だが、今は特にそういう意味はこもっていない。
 しかしあなたは先の大戦の事に強い憎しみを抱いている人間だ。
 アメリカ人もそれを知っていながら、「ジャップ」と呼んだ。
 あなたはどう思うだろうか?
 ちなみに今本当のあなた自身ではなく、この前提の考えを持つあなたであるということはどうか崩さないで留意して、想像してほしい。
 その想像もしないのは本題から外れることだ。

 さて次に、なぜ人工知能学会誌の表紙があのイラストである必然性があったか?
 これも簡単だ。現代の日本の科学者はSFとは切っても切れない関係にある。
 あの表紙のモデルは文化女中器、ハイヤードガールであるらしい。
 これは「夏への扉」という古典SFに登場する、主人公が開発したお手伝いロボットだ。
 この夏への扉と言う作品は100年近く前に執筆されたにも関わらず、今も名作として名高い。
 私もこの作品は学生時代に呼んで、大好きになった。
 なぜなら、夏への扉は人類の技術と未来を信じ、ほぼ全肯定しているからだ。
 技術により人類は環境汚染を押さえ込みながら自分達の幸福を追求することに成功した。
 理性を信じ、モラルを信じ、そしてあらゆる人間が対等に――もちろん男女も対等に――、幸福に暮らしている。
 何分古い作品なのでイメージには古臭い部分もあるが、この人間性と技術の信頼は読んでいて目頭が熱くなった。
 私たちはまだ未来とテクノロジーを信じることが出来る。
 私は科学者ではないが、科学者たちの根底にこの「信頼」があることは間違いないだろう。
 そういうことで選ばれたモチーフなのだ。100年もの歴史があるので充分に由緒正しいと言えるだろう。

 今回のことはお互いの「歴史に基いた信念」の、悲しい衝突であると言わざるをえない。
 フェミニストの方には是非「夏への扉」を読んでいただいて知ってほしいし、非フェミニストの方にも「なぜ家事労働をフェミニストが差別的と言うのか」ということを知ってほしい。差別とは現在とタイムラグなしに繋がっている、歴史と地続きの問題だ。
 私はこの表紙のイラスト自体は好きである。ある種のノスタルジーめいた感慨を思い起こさせる、未来なのに懐かしいレトロSFの絵だ。
 そしてtogetterにまとめられたほとんど逆差別のような「クソフェミ」の物言いにはさすがに私もイラッと来る。
 だが、お互いにそうするべき理由があった。その背後に何百年と言う歴史がそびえている。
 今回のことはいずれ避けられない対立であり、それだけにお互いの無神経さが、悲しい。